まちとひと

360票差の僅差で結果は落選となりました。

完全に無所属で、自分のポリシーを貫いた結果なので、選挙期間中の行動を振り返って後悔はありません。


立候補を検討している段階で、他の立候補者のことを知った時点では、2〜3割ぐらいしか勝算がないな、という予想でした。

それでも、「だからこそ、チャレンジしよう、その価値があり面白さもある。」と始めた今回の選挙でしたが、いろんな奇跡的な風によって、結果としては、大きな政党を相手に、かなりいい勝負をさせてもらえました。


今回は特に、特殊な選挙で、ちょっとやそっとでは勝ち負けをコントロールできない状況だからこそ、「勝ち負けが最優先ではない」ということを一度しっかりと前提に置いた上で、それを街頭の活動では表現にして選挙をすることを選びました。政治家にはまず「潔さ」というものを最初からどれだけ持てるか、ということも重要と考えていました。


期間中、「本当にこれでいいんだろうか。」「もっと動かなくて大丈夫か。」という考えは当然何度も浮かびます。特殊なやり方に、応援してくれている近い人たちにも理解をしてもらう必要もありました。しかしそれでも、今回自分がやるべきことを貫くことを選びました。


今回の活動においては、

「今の政治不信や、選挙が近寄りたくないもの、というイメージを多くの市民のなかに生んだのは政治の責任で、長年やり方はずっと変わっていない。誰かがこういうことをはじめないと。ひとりぐらいこういうことを言う人間がいてもいいし、いないといけないだろう。」

という心境をそのまま表現しました。ここを通過しないと、政策の話にいけないんです。政策よりも、政治の本質から始める必要がありました。


全員がこんなやり方をする必要はないし、僕自身もずっとこれをやり続ける、ということではありません。「政治、選挙のことを、今現在それに携わっている方の中で、本質的に考えている方がどれだけいるのか?」「このままで日本(香芝市)、大丈夫なんですか?いつまで続けるんですか?」という問いかけから始めないといけない時代にもう入っている、ということです。


それにより発見できたことは色々ありましたし、次に活かせる材料はたくさん得られました。選挙カフェという特殊なやり方をしたことで、市民の方の本当に困っていることがリアルにわかった部分はありますし、また、まちづくりの本質に触れられたような感覚もあり、そこからいくつかのアイデアも浮かんできました。


そして、12000人以上の方が所属政党も後ろ盾も何もない自分に、少なからず何らかの期待をしてくれたということに、色々な感情も湧いています。

この期待をどこかに霧散させてしまわないための方法、行動を、これからは考えて日々を過ごしていきます。


2024/5/20 堀口のぶよし


【写真】

3日目名前マスキング

初日選挙カフェ

「ひとりでも多くの人に知ってもらって、一票をもらいたい!」

「投票用紙には、⚫︎⚫︎でお願いします!」

ゴリ押し、悪口、嘘、怪文書、見境のない票獲得への動き。大人が束になって。

なんでもありの選挙戦にうんざりです。

今回立候補者として、どうやっても普通であれば、一票でも多く欲しくなってしまう状況の中で、正しくあることとは何かを問い続けて、どうすればそれを表現できるかを自分なりに毎日毎時、「真剣に」考えて6日間を過ごしました。


市議選においては、2人しか候補がいない補欠選挙で、何も一切見ずに名前だけで選ぶなんていうことはあり得ません。絶対に何かは見比べられているはずです。なので、ポスターと公報には、最低限の情報は入れ込みました。そして、興味がある方はホームページを見てもらえるように動線をつくりました。それで十分です。あとの口コミなどは自分にはコントロールできません。

市議選で、3万弱の票が2人のうちのどちらかに入るというのは、非常に特殊な状況です。通常の1000票ちょっとの選挙とは全く性質のことなるものです。駅で名前だけ叫んでお願いしたところで、一体何人の人がその人に投票しようと思うでしょうか?今まで通りのことをやり続け繰り返している選挙は、効率や勝ち負けだけを冷静に考えたとしても、あまり意味がないことがわかるはずです。「今までそうだったから」を一回クリアにして、自分の頭でちゃんと考えないと、物事は進展しません。


これまで、15年以上建築、教育、まち、人のことについて考え続けてきました。

香芝に会社を作って、8年以上、建築仕事以外にもいろんなことをやってきました。香芝が、日本が、少しでも良くなって欲しいという想いで会社をつくり、いろんなことを経験しながら、いろんな人に支えてもらって、教えてもらって、なんとかかんとか今までやってきたことは、事実として残っています。まだまだ微力ではあるのですが。


「勝たなければ意味がない。」政治家は強く言いました。

では、逆に問いたいです。


「勝てば、なんでもいいんですか?」

「正義を盾にして、悪魔に魂を売ってもいいんですか?」

「選挙に勝った後、その悪魔との契約、ちゃんと断ち切れますか?」

「本当に本当に、あなたには、何事にも優先する信念がありますか?作ろうとしていますか?」

「人の目をまっすぐ見て、それを言えますか?」

「子どもたちに胸を張れますか?」


実のところ、残り2日はおとなしくしていようと思っていたのですが、やっぱり黙っていられないので、最終日は、いろんな場所で訴えて、7日間の活動のまとめにしたいと思います。


「ひとりでも多くの人に」このおかしさを訴えていきいます。


言いたいことを言い合える。お互いを尊重し合える。相手のことを思いやる。こういう空気を大事にしていれば、政治はおのずとうまくいくはずです。

不信を増幅させる政治・行政をしていてはいけません。

なぜ、おかしいとわかっているのに、そのままにしておくんですか。それに加担するんですか。目の前で困っている人がいるのに、われ関せずなんですか。子どもに胸を張れる大人に、今日からでもなってみませんか。


おかしいを変えたい。変わって欲しい。みんなで変えましょう。大丈夫!


2024/5/18  堀口のぶよし

相手陣営の事務所に伺い、あたたかく迎えてもらえたことで、今回の選挙において自分の中で欲しかった、ひとつのゴールに達した感覚はあります。

「勝ち負けではない」

これを徹底して選挙期間を過ごしてきたことで、この感覚に到達できたと思います。あまりここまでの表現をすることはないですが、本当に優しくていい人たちでした。「勝たないと意味がない」という選挙のプロたちの思い込みが、この人たちの魅力をかき消してしまっているとさえ。この人たちはそんなことは思っていなくて、2人とも通ればいいのに、と送り出してくれたのです。

なぜ、同じようにまちをよくしたいという想いを持っていながら、相容れないのか。この答え。そして切なさも含む、新しい感情をもって、残り2日の過ごし方をまた、明日から新たに模索していきます。

3年5年10年という長い単位で物事を見ていけば、個人対個人では調和できるポイントが作れる希望はあると思えました。逆に、やはり大きな組織や団体はどこまでいってもその呪縛からは逃れられないのだろう、とも。これからさらに、個人としてどうなのか、ということを問われる時代に突入していくと思っています。

昨日30代の銀行員の彼から聞いた悩み。


一つ前の記事で書いた続きになりますが、抜粋するとこういう内容でした。「知り合いの30代前半の銀行員の男性に話を聞いてみたところ、1歳と3歳の子育てをめぐる夫婦関係で、帰りが遅くなったりすることもあり、奥さんからのプレッシャーを感じている。という話をされていました。奥さんは今は子育てをしながら時短で働いている状況だそうで、子育てに集中するために、一時的に専業主婦になる選択肢はないのか、と聞いてみたところ、住宅ローンを抱えていることや子どもが高校、大学に進んだ時にたくさんのお金が必要であろうということに対して、漠然とした不安を抱えており、それを理由にやっぱり共働きは必要と思っている、とのことでした。」


これをchatGPT4oでシミュレーションしてみました。所要時間2分です。政府の情報を参照するように注文しています。

ただし、情報が正しいかどうかは検証していません。


「日本の30歳夫婦、ローン3500万円、こども1歳、3歳、という世帯の最低限必要な年収を考えてみてください。高校までは公立、大学は二人とも私学にいく、という前提です。共働きが必要なのかどうか、毎月いくら貯蓄すればいいか、などを考えたいのです。データは政府が出しているものを参照してください。」


以下、GPT4oの回答

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日本の30歳夫婦、ローン3500万円、1歳と3歳の子どもがいる家庭の必要な年収について、以下の要点を考慮します。

家計の概要

住宅ローンの返済:

ローン3500万円を35年返済と仮定すると、月々の返済額はおおよそ10万円程度となります。

生活費:

総務省の家計調査によると、30代夫婦と子ども2人の平均的な生活費は、約30万円~35万円です​ (Statistics Japan)​​ (Statistics Japan)​。

教育費:

子どもが高校まで公立、大学は私学の場合、年間の教育費は次のようになります。

小学校(公立):約10万円

中学校(公立):約15万円

高校(公立):約30万円

大学(私立):年間約100万円~150万円

最低限必要な年収

これらの支出を考慮すると、最低限必要な年収は以下の通りです。

年間生活費:30万円 x 12か月 = 360万円

住宅ローン返済:10万円 x 12か月 = 120万円

教育費(平均年間費用):約20万円

これに基づくと、年間の基本的な支出は約500万円程度となります。

貯蓄と共働きの必要性

貯蓄:

将来の教育費やその他の緊急費用を考慮すると、毎月5万円程度の貯蓄が望ましいです。

これにより、年間の貯蓄額は60万円となり、総支出は560万円となります。

共働きの必要性:

単独で年収560万円を超えるのは難しいため、共働きが現実的な選択となります。

一方の親がフルタイムで働き、もう一方がパートタイムで働く場合、合算年収が600万円を超えることを目標とします。

結論

このような家庭の最低限必要な年収は、560万円以上が理想です。これは、共働きが必要であり、月々の貯蓄も確保するための計算です。

さらに詳細なデータや状況に応じた計画が必要な場合は、家計簿アプリやファイナンシャルプランナーに相談するのが有効です​ (政府統計の総合窓口)​​ (Soumu Go)​。

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かなり具体的な答えが返ってきました。すごいですね。ここからさらに、生活費30万の根拠などを質問していってもいいし、生活費が具体的にわかっているならそれに置き換えて計算してもらうことも可能だと思います。


これを彼に送ってみて、不安な気持ちはどれぐらい解消されたか、データをとってみたいと思います。また返事が来たら続報でアップします。

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続報。さっそく、返事をもらいました。

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おはようございます!

凄い具体的!

小、中、高校の教育費は思っていたより少なくびっくりしました。

この情報なら嫁さんを専業主婦でもやっていけそうですし、気持ちの余裕を持って、裕福な生活を目指して頑張れそうです!笑

ありがとうございます😭

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正確性に関しての注意などは必要なのですが、こんなちょっとした動きだけで、漠然とした不安は軽くなる、ということの好事例と言えるのではないでしょうか。

昨日は五位堂駅付近に選挙カフェを開いていましたが、

そこで通りかかった大学生30人ほどと話しました。

(昨日はタスキも外して腕章のみでやってみたのですが、やはり選挙色がどうやっても出てしまい、大人の人はかなり警戒されますね。やり方は今後工夫が必要だと思います。)

「何か悩んでいることや不安はないか。強いて一つ挙げるとしたら。」

この質問に対して、30人中3人か4人が進路への不安を口にしていました。

あとは、彼女が欲しいとか、遊びすぎてお金がない、時給が安い、とか、そういう内容でした。

多くの大学生は、深刻な悩みは持っていないということがわかりました。もう少しあるかと思ったのですが、あまりになかったことは、ちょっと意外でした。

つまり、今の日本がいかに平和(な感覚)であるかということ。学生たちは学生の時点においては、案外ポジティブだったのです。

次に、その後に会いにきてくれた、知り合いの30代前半の銀行員の男性に話を聞いてみたところ、1歳と3歳の子育てをめぐる夫婦関係で、帰りが遅くなることもあり、奥さんからのプレッシャーを感じている。という話をされていました。奥さんは今は子育てをしながら時短で働いている状況だそうで、子育てに集中するために、一時的に専業主婦になる選択肢はないのか、と聞いてみたところ、住宅ローンを抱えていることや子どもが高校、大学に進んだ時にたくさんのお金が必要であろうということに対して、漠然とした不安を抱えており、それを理由にやっぱり共働きは必要と思っている、とのことでした。(奥さんがしっかり働きたい人かちょっと働きたい人か主婦をしたい人かにもよると思いますが、そこまでは聞けていません。)

「漠然と不安」というキーワードが印象的でしたが、これは建築士として住宅の仕事をさせてもらうときにも、多くの夫婦が口にされる言葉です。やはり家族をもつ年代になると、この「漠然とした不安」が常に付きまとっていることが多いのだろうなと推測されます。

この漠然を具体的には月にいくら貯金すればいいのか、という明確な数字に置き換えることができれば、おそらくやるべきことが明確になって、精神的な負担は結構減るのではないか、と思いました。例えば、年収、家族構成別のシミュレーションの結果を誰もが見られるようにしておけば、この漠然とした不安による家族内の摩擦なども軽減できるのではないでしょうか。ちょっとしたことですが、本当に必要とされている情報を、必要な人に、必要なタイミングで届ける。これは行政がもっと工夫できることのひとつではないかと思います。


地域交流拠点がうまくいく条件とは何か、を考えていたところ、ひとつのキーワードにいきつきました。それが「ノスタルジー(懐かしい感覚)」です。

現代の核家族化の進行により、地域の交流関係は薄れてしまいました。自治会の存続自体もだんだんと危ぶまれていくでしょう。

ノスタルジー、「懐かしむ」という感覚。これが実は現代には大事な要素になっていくのではないかと思っています。

故郷をなつかしむ、家族親戚を懐かしむ、というような、この懐かしむという感覚は「愛着をもつ」「大事にする」という感覚を持つための、ひとつのベースになっているように思うのです。愛情不足などが社会問題になっている現代において重要なキーワードと言えるのではないでしょうか。

ノスタルジーは、そこから離れたり、失ったり失いかけたりした時にはじめて感じることが多い感覚だったりします。後になってから、大事さに気づく、というような。

これはつまり、実はなにげなく過ごしていた時間(日常)の蓄積だと思います。

なので、現代で重視されている効果的、合理的、経済的、というキーワードとは逆の、「何気ない時間」を多く共有することで、あとから生まれるノスタルジーは強まっていく、ということです。

地域交流拠点においては、目的ある時間があることも当然素晴らしく、それも作っていきたいと思うのですが、それに加えて、何気なく過ごす時間、家族的感覚の種になるような日常時間を蓄積していける拠点になっているといいのではないかと思います。

あとで、「あぁ、あそこであんなことしたな」と、懐かしい感情が湧いてくるような時間を過ごしていたかどうか。これは、時間の継続、連続によって生まれる感覚です。風景や音や匂いもセットで覚えていることも多く、そういう要素もよく考えておく方がいいでしょう。なので建築や景観も考えながらまちづくりは考えたほうがいいでしょう。

(公民館の貸し会議室の風景に懐かしさはちょっと感じにくいですよね。)


核家族化、超高齢化、少子化、両親共働き、3組に1組が離婚、多忙、近所付き合いの減少、これらの要素を考えると、実は人は「孤独」を感じやすい時代だと言えます。つまり、地域交流の促進により、家族以外の近所の人と、家族感覚に近い共同体感覚を持つというようなことが、重要といえると思います。


これにより、両親共働きの子どもの孤独解消、施設に入っていたり一人暮らしの高齢者の孤独解消、というように、孤独の解消とノスタルジー時間の蓄積が進み、自分が過ごした時間への愛着や懐かしさが生まれやすくもなります。

「あの時あの場所で、あのおじさんはちょっと強引だったけど、おもちを焼いてもらって食べたなぁ。」

とか、こういうものが、近所の人、自分の暮らした街への愛着、懐かしみ、というものの種だと思います。


さらにいうと、小さいこどもではなく、その親世代が、このノスタルジーの感覚を強めることで、愛情、愛着、という現代の社会問題へのアプローチにもなっていくと思います。


何気ない地域交流による日常時間が増えることで、閉鎖的になりがちな家族も、親子で愛情、愛着、というものの種になるノスタルジー時間を蓄積していくことになるのです。

これは教育や人としての成長、という観点においても重要です。ノスタルジー感覚が強まっている時の例として、自分の親世代がもうすぐ寿命を迎える、という時があります。この時になってようやく、過去の時間を懐かしく感じたり、「もっとこうしてあげられたらよかった」と思い始めたりもするものです。これは、物事をありのままに受け入れやすい状態。本当に大事なものが何か、気づきやすい状態、といえます。


少し長文になりましたが、今回言いたかったのが、ノスタルジーが人として大事な感覚や感情を育てるということであり、現代には失われつつある感覚かもしれない、ということ。

地域交流の拠点を、いかにうまく今の時代にあった形で作っていき、地域としての家族・共同体感覚をナチュラルに持つことができるか。

これを官民連携で作っていくということは、これからひとつの大きなテーマになるでしょう。

この感覚がのちに、子どもが大人になった時に自分の故郷や家族、交流があった人たちを大事に思う気持ちになっていく、ということ。これを育てたい。

こういうことを、まちづくりにおいては考えていくべきである、ということです。


2024/5/15  堀口のぶよし


応援してくれている方と会うたびに言われます。

「一人でも多くの人に名前を知ってもらって、」

と。

選挙カーはスピーカーを搭載して、大音量で名前を連呼して走ります。

そういうものだとみんなが思っています。

名前をいかに目に入れるか、意識にすり込むか合戦が繰り広げられています。

このこと自体に非常に違和感を感じていました。

だからそれをやめるべく選挙カフェというコンセプトを考えたのですが、まだ何かしっくりきていない部分が昨日までありました。

それで、ふと気づきました。

自分も名前を選挙カー、たすきにデカデカと書いているではないかと。

つまり、それに違和感を抱いていた自分でさえ、その違和感の元凶から、実は完全には抜け出しきれていなかったことに気づきました。

だから、選挙カー、タスキの、自分の名前はテープで隠すことにしました。(よく見たら見えるぐらい)

これで残りの選挙期間を過ごします。

遠距離の人に名前だけアピールで接点を持つ、という機能を捨てました。

これは、

「まずは中身を見てください。(もし興味があれば)」

「何を言っている人間なのかで判断してください。」

「意味もわからず票を入れてくださいとは言いません。」

ということの端的な表現です。

これで自分の中のモヤモヤが晴れたので、今日からまた清々しい気持ちで選挙活動に入ります。

これによって、変わり者をアピールしたり、それで注目を集めたいわけではありません。行儀良く選挙活動をすることで、直に触れ合った方にはそこがうまく伝わればと思っています。

2024/5/14  堀口のぶよし



「こんな時だからこそ、ゆっくり話しましょう。」で、どんな話をしたのか。

27歳男性に話を聞きました。

・賃金が足りない。どうやったら上がるのか。

 物価は上がったが給料は据え置きなので、苦しい。給料が上がる方法はあるのか、ということを話しました。これは、

 ① 給料を何に使っているのか

 ②「貯蓄したい」は具体的に何のために貯蓄をするのか

 ③ 実は、お金をかけない方法があるのではないかを考える

 ④ 賃金がなぜ上がらないのか

これらの切り口から話しましたが、出てきたキーワードから、原因が漠然としているということがやっぱりわかってきます。本人が持っている感覚は、「貯蓄しないと不安だから貯蓄する。」というようなものです。人生にビジョンを持っているかいないのか、によっても、⚫︎年後に必要な貯蓄額は変わります。

まず、これに対して思うのは、漠然と不安を抱えているぐらいなら、不安にならずポジティブに過ごしているほうがまだ良い。もしくは、漠然を具体的な数字や目に見えるものに分解するといい。その具体的な数字は現時点で、だんだん変わってもいい。まずは目安になる数字を自分の中で持つことで、不安は随分解消される。そういうアドバイスをさせてもらいました。

「漠然とした不安」を煽るビジネスや政治家は多いです。社会全体としては不安が多くなると予想される時代であるからこそ、自分の置かれている状況、自分がどうありたいか、自分の悩みや不安はどこから来るのか、何で構成されているのか、どうやったら解決できるのか。自分個人としての答えを持とうとすることが大事になると思います。

個人としての答えを持つこと。そこにも何かしらのケアやサポートがいるのではないかと思います。行政単独では踏み込みきれなかったとしても、民間との連携であればできそうですね。

2024/5/13 堀口のぶよし

以前からずっとですが、

「ほぼ全ての政治家の表現に混じる数割の妥協的表現と無自覚の誇張」があると感じています。

国政、県政、市政問わず。です。政治の世界全体がこれに侵されています。

「選挙や政治の世界はそういうものだから」で、政治家も、あるいは有権者の人でさえも、無意識レベルで良しとしてしまっている、妥協的表現や誇張的表現があると思います。

街頭演説にはこの要素が多く含まれます。だから危険であり、注意が必要なものであると思っています。

感動的な演説によってにごされてしまう、本当のところ。

もちろん選挙に落ちたいと思っている人はいません。

しかし、勝ちたいと思いすぎなのです。

それにより、本当に大事なものが置きざりになる。

候補者の表現に熱はこもっていくのですが、それを有権者の方はどのように見極め、有言実行されるように見守っていくか。

市政という小さな単位での政治は、「政策」よりも、「一言一言」を丁寧につむいで、それにずっと責任を持てる人かどうか、の方が重いし、結果への直接的影響があると思います。

自分自身が選ばれるかもしれない立場であるからこそ、選挙期間中の今、この文章をここに残します。

2024/5/13 堀口のぶよし

選挙カーに「選挙CAFE」と表記し、搭載拡声器なし、ウグイス嬢なし、にしている理由をここに書いておきたいと思います。

選挙制度はこれまでの古いやり方をずっと踏襲し続けてきていますが、まわりよりいかに前に出るか、いかに目立つか、一人でも多くの人に出会うか。こればかりを競う戦いになっています。選挙期間が短い、当選しないとやりたいこともやれない、など、いろんな要因が複合されて、今のやり方を当たり前と、みなさん信じてされています。

勝てば官軍。果たしてそうなのでしょうか。

今回の選挙では、それらにまずは疑問を投げかける表現として、選挙CAFEという、コンセプトが強めの選挙期間にしています。

「こんな時だからこそ、ゆっくりお話ししましょう。」と選挙カーにも書いてあるとおり、選挙期間だからといって、むやみやたらに人が嫌がっているのに話しかけたり、中身もないのに興味を引こうとしたり、そういうことを一切やらないでおこう、と決めたのです。

選挙期間はみなさんもっぱら、「いかに多くの人と」「いかに効率的に」票をかき集めるか、に終始されますが、実際のところ、やっていること自体は、有権者からしたら迷惑でしかなく、実はほとんど意味がないことも多いと思うんです。

だから、僕はそんなことは一切やりません。選挙はがきもやりませんし、無理にお願いします、ともしません。

出会ったひとりひとりを大事にするということが、今の選挙には足りていないと思うんです。

選挙といえば構えてしまう人が多い。そうなってしまったのはそもそもが政治(家)の責任ですから、それを棚に上げて、「自分は違うから!」「しがらみがないから!」と、こっち側の都合でゴリ押しすることって、どうなのかな、と。ここから始めたほうがいいと思います。

落ち着いて、ゆっくり話す。

「こんな時(選挙期間)だからこそ、ちょっと政治やまちのことや、社会のことについて、話したり考えてみてもいいかな?」

と思ってみる。

これぐらいのタッチから政治への興味はスタートするのかもしれません。選挙に行きたくない、関わりたくない、としたのは選挙制度の中で見境なく勝ちを求めすぎたことによるものです。

それをまずは根本から見直す。

その表現のスタートとしての、「選挙CAFE」です。


2024/5/12  堀口のぶよし

chatGPTについて騒がれ始めてから早くも数年が経った。

2023年から、箕面自由学園高校でAI・メタバースについての講義をさせてもらっている。「デザインタイム」という選択制の講座があり、生徒が自分で好きなものを選択できる。

年度の最初にchatGPTを使ったことがあるか?という質問をしところ、使ったことがあるという子が去年は1~2割ぐらいだったが、今年は半分ぐらいになっていた。少しずつ世の中に浸透はしてきているということだろう。

実際に自分がどういう使い方をするかというと、一番多いのは英訳をサクッと作りたいとき。日英両方の英文を作りたいときがあるときなどはかなり楽をさせてもらっている。次にプレゼン用の画像生成。ちょっと辞書的な感じで使うのも便利ではある。

この2年弱ぐらいの進化速度を見ていると、やはり目を見張るものがある。

「●●の画像を作って」と1行で頼むだけで、1分もせず、それなりのクオリティのオリジナルの画像が作られる。


講座初回に、実際に実演で使ってみた様子をご紹介。

1分もかからずこれを作ってくれた、が、これはちょっとSFすぎるので、単刀直入に「ちょっとSFすぎる」と入れてみる。

すると、このコメントだけで作り直してくれる。

これのすごいところは、「ちょっとSFすぎるかも」というコメントで、「もう一回つくってくださいね。」という注文をされたと認識できているところ。これまでの検索エンジンなどではこんなことは不可能だった。会話形式で注文が自然な形でできるというのは相当すごいことだと思う。

また、これぐらいのやり取りが3分ほどの間にできてしまうというのも、これまででは考えられなかった。

これぐらい世界は動いているということを、情報として子どもたちには知っておいてもらいたい。これに触れているのといないのとでは、将来の進路、なりたい職業を選ぶときにきっと差が出てくると思う。

ただ、いろんなものが簡単に作れてしまう世の中になるからこそ、これからの時代の生き方や価値観の転換が必要にもなってくる。

科学技術の発展を否定せずうまく生活に活かしていけるか。どう向き合っていくか、これからもっと直面することになるが、これを子ども世代だけでなく、今現役世代の人たちこそ、考えておかなければいけない。

「依存」というものをしっかり理解し、それを回避する術がある。ということ自体を教えることで、「依存」は回避できる可能性が高まるはず、と考えている。

意志の力だけではどうにもできないということを前提にして、

①忍耐や我慢というものを、身につけるべき素養として、「科目化」する

②依存を避ける「環境づくり」を「科目化」する

大きくは、このふたつをセットでやることで、かなり状況は改善されるはずである。

忍耐=精神力、と思われがちだが、忍耐は、訓練で鍛えられるものともいえる。

忍耐力を向上するための時間が長かった人は忍耐力が鍛えられる。

当然初期値や成長速度は人によって違うとはいえ、その傾向は必ずあると思う。

「忍耐」と「環境づくり」を必修科目化すると、いいことは多いはず。