ノスタルジーがまちづくりのヒント
地域交流拠点がうまくいく条件とは何か、を考えていたところ、ひとつのキーワードにいきつきました。それが「ノスタルジー(懐かしい感覚)」です。
現代の核家族化の進行により、地域の交流関係は薄れてしまいました。自治会の存続自体もだんだんと危ぶまれていくでしょう。
ノスタルジー、「懐かしむ」という感覚。これが実は現代には大事な要素になっていくのではないかと思っています。
故郷をなつかしむ、家族親戚を懐かしむ、というような、この懐かしむという感覚は「愛着をもつ」「大事にする」という感覚を持つための、ひとつのベースになっているように思うのです。愛情不足などが社会問題になっている現代において重要なキーワードと言えるのではないでしょうか。
ノスタルジーは、そこから離れたり、失ったり失いかけたりした時にはじめて感じることが多い感覚だったりします。後になってから、大事さに気づく、というような。
これはつまり、実はなにげなく過ごしていた時間(日常)の蓄積だと思います。
なので、現代で重視されている効果的、合理的、経済的、というキーワードとは逆の、「何気ない時間」を多く共有することで、あとから生まれるノスタルジーは強まっていく、ということです。
地域交流拠点においては、目的ある時間があることも当然素晴らしく、それも作っていきたいと思うのですが、それに加えて、何気なく過ごす時間、家族的感覚の種になるような日常時間を蓄積していける拠点になっているといいのではないかと思います。
あとで、「あぁ、あそこであんなことしたな」と、懐かしい感情が湧いてくるような時間を過ごしていたかどうか。これは、時間の継続、連続によって生まれる感覚です。風景や音や匂いもセットで覚えていることも多く、そういう要素もよく考えておく方がいいでしょう。なので建築や景観も考えながらまちづくりは考えたほうがいいでしょう。
(公民館の貸し会議室の風景に懐かしさはちょっと感じにくいですよね。)
核家族化、超高齢化、少子化、両親共働き、3組に1組が離婚、多忙、近所付き合いの減少、これらの要素を考えると、実は人は「孤独」を感じやすい時代だと言えます。つまり、地域交流の促進により、家族以外の近所の人と、家族感覚に近い共同体感覚を持つというようなことが、重要といえると思います。
これにより、両親共働きの子どもの孤独解消、施設に入っていたり一人暮らしの高齢者の孤独解消、というように、孤独の解消とノスタルジー時間の蓄積が進み、自分が過ごした時間への愛着や懐かしさが生まれやすくもなります。
「あの時あの場所で、あのおじさんはちょっと強引だったけど、おもちを焼いてもらって食べたなぁ。」
とか、こういうものが、近所の人、自分の暮らした街への愛着、懐かしみ、というものの種だと思います。
さらにいうと、小さいこどもではなく、その親世代が、このノスタルジーの感覚を強めることで、愛情、愛着、という現代の社会問題へのアプローチにもなっていくと思います。
何気ない地域交流による日常時間が増えることで、閉鎖的になりがちな家族も、親子で愛情、愛着、というものの種になるノスタルジー時間を蓄積していくことになるのです。
これは教育や人としての成長、という観点においても重要です。ノスタルジー感覚が強まっている時の例として、自分の親世代がもうすぐ寿命を迎える、という時があります。この時になってようやく、過去の時間を懐かしく感じたり、「もっとこうしてあげられたらよかった」と思い始めたりもするものです。これは、物事をありのままに受け入れやすい状態。本当に大事なものが何か、気づきやすい状態、といえます。
少し長文になりましたが、今回言いたかったのが、ノスタルジーが人として大事な感覚や感情を育てるということであり、現代には失われつつある感覚かもしれない、ということ。
地域交流の拠点を、いかにうまく今の時代にあった形で作っていき、地域としての家族・共同体感覚をナチュラルに持つことができるか。
これを官民連携で作っていくということは、これからひとつの大きなテーマになるでしょう。
この感覚がのちに、子どもが大人になった時に自分の故郷や家族、交流があった人たちを大事に思う気持ちになっていく、ということ。これを育てたい。
こういうことを、まちづくりにおいては考えていくべきである、ということです。
2024/5/15 堀口のぶよし
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