ゲームの依存性、中毒性について

ゲームの依存性については、ずっと考えている。が、最近ようやく答えが出そうになっている。

自分でそれなりに時間をかけてやってみて、この年にしてやっとわかってきた。一定の機能訓練にはゲームは有効に働く場合がある。し、まったく触れない、ということにする必要もないが、やはり、あまりにも中毒性、依存性が高すぎる。仮想世界も同じような側面があると思う。

しかし、最近はRobloxやMinecraftなどの、ゲームやワールドを自分で作って人を招いて遊べるゲーム、ゲームで個人がお金を稼げるゲーム、世界で数億人が集う場所になっている。メタバースが騒がれるようになって、この世界は拡張しつづけている。

これに対して、全く遠ざけると、時代錯誤的になってしまうので、ある程度は触れておく、というのは必須になってくると思う。youtubeを観たことがない、という場合と同じで。でも大人もこどももYouTube、の時代だ。

依存性については、意志の力だけではどうにもならない。

物理的な障壁を意図的に作ることによって、コントロールする必要がある。つまり、依存しにくい環境を作り上げることだ。人はそれほどに、環境に依存して生きる生きものだということが、やっと身をもってわかってきた。

ゲームは一側面的には、効率的に反射神経などの運動機能が発達したり、世界観やストーリーを体験することで感受性の一部分を育成してくれる側面がある。が、当然人としての機能の一部しか使わないので、全く完ぺきではない。そのうえ中毒性がすごい。そこをわかっておく必要がある。

全く触れないのも一つの手ではあるが、うまく付き合う、依存しない環境というものは作れるということを大人が理解し、その依存の怖さや、それを避けながら生きていく術などを、教育に組み込んでいくべきだと思う。そうなるとわかっていれば、対策をたてられて、避けられる確率は飛躍的に向上する。

ただ、それを扱うにも、これを身をもって体験していない大人は教えることができない、というジレンマがある。アナログすぎる大人がこれを教えてもどうしても的が外れた指導になる。



堀口のぶよし

ー奈良県香芝市ー コンパクトモデルシティ、未来のまちのあり方、「ひと」の行く先を日々考えています。 堀口のぶよし